26. 身体的特徴と水泳
このブログの内容を、体系的にまとめて、次のウェブサイトで公開している。
身体的特徴と個性
泳ぐために生まれてきたような人もいる。例えば、イアン・ソープのような人。彼は、速く泳ぐために生まれてきたような人だ。背が高く、柔軟で、手足もヒレのようだ。
速くなくてもいい、泳ぐのが好きという人もいるだろう。
反対に、泳ぐのはつらいという人もいる。
鼻や耳に水が入って嫌だという人は多い。
単に水泳に慣れていないというだけなら良いが、私の妻などは、手の平がボロボロになって痛痒い難病を持っており、かわいそうなことに、水仕事や、プールに漬かったりすると、これがひどくなって、どうしようもなくなる。
そうなると、とても泳ぐどころの話ではない。
私個人のことでいえば、肩関節の柔軟性があまりなく、腕が上がらないということは、このブログで、しばしば書いた。肩だけでなく、足首の柔軟性もないし、私の身体は競泳スタイルには向いていない。
そもそも、私は競泳などしたくない。もしかしたら、「すっぱい葡萄」なのかもしれないが、でも、やはり、する気はない。競争というのは、自らの限界に挑むことであり、オリンピックでもサスケでも、見るにはおもしろいが、自分がやるとなれば、犠牲も大きく、健康のためにも良いとは、とても思えないのだ。
それは、ともかくとして、さまざまな身体的特徴を持った人は多い。
いや、誰しも、障害と名をつけようがつけまいが、目に見えるか否かは別として、身体的特徴はもっているのだ。それは、個性にすぎない。
事故で片腕を失った人。病気のために、半身が動かなくなった人。片腕や足が動かしにくいとか、首が回りにくいとか、そもそも、どこかが痛いだとか、いくらでもあるだろう。先天的なものもあるし、後天的なものもあるだろう。
物理的な形や可動域に限らず、精神的なものもある。
「正常な」という概念は怪しい。正常な身体とか、正常な精神というものは定義できるものでもないし、する必要もない。
「平均的な」という概念だってそうだ。平均的な身体というものもない。もちろん、一定集団における平均身長や平均体重といったものはある。しかし、例えば、平均的な視力ということになると怪しい。見え方というのは、視力検査ですむ問題ではなく、見るものにもよるし、見るためには脳での判断がともなうことから、平均的なという概念は、あやしくなってくる。
ましてや、平均的な精神力とか、平均的な集中力など。あるはずもない。
だれでも、みんな、心身に個性を持っているのだ。
個性と水泳
「水泳をしたい」というときに、その目的は、何であってもよい。
泳げばよい。ただし、公共プールやジムのプールでは、ある程度、他人の運動の妨げにならないようにしたいものだ。
ゆっくり泳ぎ、壁際でゆっくり休むのもよい。
その場所でのルールを守って、一方通行で、隣の人の領分に、はみ出さずに泳げばいいのだ。
だから、泳ぐスピードだってそんなに気にすることはない。速い人は速い人同士泳ぐか、遅い人に合わせればよい。
でも、おそらく、多くの人は、ラクに、できれば、そこそこ速く泳ぎたいと思っているのではないだろうか。そして、できることなら、自分の決めた運動時間中、ジョギングのように継続して泳ぐこともしたいと。
人によっては、リハビリの目的があるかもしれない。人によっては、陸上での運動に支障があり、膝や肘や、どこかに痛みがあるのかもしれない。
しかし、見てると、どのような個性を持っている人であれ、いわゆる、一般的な4泳法といわれる、クロール、平泳、背泳、バタフライを無理して泳いでいるような気がする。いわゆる、スクールで教えている泳ぎだ。
別に、それは、それでよいのだけれど、でも、もっと自分の個性にあった泳ぎがあってよいのではないかとも思う。
このブログでは、これまで、肩があまり上まで挙がらない人や、らくに泳ぎたい人を対象に、いろいろ工夫してオリジナル泳法を紹介してきた。要するに、私の自由形に過ぎないものだ。
今後は、もっと色々な場合を想定して、泳ぎ方を工夫していきたいと思う。
例えば、私自身、肩を故障することも時々ある。
思えば、そもそも、3年前に水泳を運動に取り入れたのは、左肩を故障したからであった。水泳は無理のない運動だと考えたからである。そして、痛くない範囲で動かし、1年かけて治した。
しかし、痛いときには、思うようには動かせないし、動かさないほうが良いときもある。
だから、例えば、片腕の動きに支障があったり、痛みがある場合や、足に麻痺がある等々、一般の4泳法を泳ぐのに支障がある場合を想定してである。
片腕が動かなくても、充分、泳げるのだ。
足が動かなくても何の問題もなく、これまで紹介した殆どの泳法で泳ぐことができる。
問題は、おそらく、例えば、腕が単に動かないというだけでなく、その原因を含めた問題が泳ぐ際にどう作用するかということだが、それは、個別に対応する必要がある。
個別の問題は想像するしかないが、このブログでは、当面は、最初は、単純に、片腕だけや、半身を使って泳ぐといった想定で、これまでの泳ぎや新しい泳ぎを紹介していこうと思っている。